美しいはどう作られるのか?——驚くほど考えられた「絵の仕組み」
ショパンの《ノクターン第2番 変ホ長調 作品9-2》 大好きな曲の一つです。
最近、ふと思い立って楽譜を見ながらiPadのキーボードアプリでちょっとだけ弾いてみることに。(右手だけ!)あの優雅で少し切ないメロディーはこんなふうにできてたんだ…ってびっくりしました。
最初に出てくる基本のフレーズが、音を増やしたり装飾を加えながら、少しずつどんどん豊かになっていく。なぜここにその音が??なぜその音をシャープに??なぜここで突然フラットが外れたの??
音楽の素養がないものだから単純にすごい!!と感動の連続でした。
構造を知ると、聴こえ方が変わる。
ああ、こうやって美しさって作られてるのだなぁと・・・
今、西洋美術史の12の時代をテーマに紹介しています。前回はオランダ絵画を取り上げましたが、今回はフランス古典主義の魅力を覗いてみたいと思います。
ぱっと見ると堅そうですが、中をのぞいてみると、意外にドラマチックで面白い絵をご紹介します。
「構造」を知ると、こんなに変わる—見えなかった魅力が見えてくる

フランス古典主義を代表する画家、ニコラ・プッサンの《ソロモンの審判》は、かなり“難しい”と感じる絵です。
落ち着いた色、構図は整いすぎていて、描かれているものも明らかに古典もの。心惹かれる絵とは少し遠いかも。私も最初そうでした。
でも、ショパンの楽譜と同じように、構造をたどっていくと、驚くほど考えられた「絵の仕組み」が見えてくるんです。
描かれているのは、旧約聖書の有名な物語。赤ん坊の母親を名乗る女性が2人、ソロモン王のもとに現れるところから始まります。
ほぼ同時期に子供を出産した同じ家に住む2人の女性。1人の赤ん坊が亡くなってしまい、生き残った子供は自分の子供も!!と主張する両者。ソロモンは一つの試練を用意します。
王は、赤ん坊を切りふたりで分けよ、と命じ、反応を見ることで真実を見抜こうという、心理戦のような裁きなんですね。
プッサンはこの場面を、まるで舞台のように構成された空間の中に収めています。
中央の玉座にどっしりと座るソロモン。その威厳と理性を象徴するように、深紅の衣をまとい、まっすぐな姿勢で全体を支配しています。
その前では、ひとりの兵士が赤ん坊を高く持ち上げています。この兵士がまた印象的で、唯一上半身が裸。鍛え上げられた肉体と、立派すぎる兜が強烈な存在感を放っています。
王の命令の真意をしっかりと理解している様子。たった一人の描写で「ソロモンの統治力」まで伝えてしまう、プッサンの演出力が光る場面です。
画面左では、黄色い衣をまとった女性が必死に懇願しています。
「殺さないで!」と両手を広げ、赤ん坊を守ろうとする本当の母親。(本当の母親)
一方で右の女性は、怒ったような表情で指を差し、相手を非難している。(偽りの母親)。感情のぶつかり合いを、セリフなしで視線とポーズだけで語っているのです。
さらに、人物の服の色にも注目。真実の母には明るい色を、偽りの母には暗い色を着せて対比させています。背景の柱や人々の配置も左右対称に整えられ、画面全体が“ソロモンの判断”という一点に集中していく構造になっている。
実はプッサンはこの絵を描く前に、ろう人形で小さなセットを組み、登場人物の配置や影の落ち方まで検討していたそうです。古代彫刻の研究や大量のデッサンを経て、計算し尽くされた構図をつくり上げている。
劇的な演出に頼るのではなく、理性と構造で語るドラマ。
感情の爆発はなくても、見るほどにじわじわと「うまくできているな…」と感じてくる、そんな絵なんです。
「理性で美を作る」ってどういうこと?—プッサンとフランスの挑戦
なぜプッサンは“構造”を大切にしたと思いますか?
その答えは、彼が生きた時代——そして当時のフランスという国の事情にあります。
イタリアではレオナルド、ラファエロ、カラヴァッジョたちがすでに名声を得ていたのに対して、フランスはまだ“芸術後進国”と見なされていました。文化的にも、美術的にも、憧れの眼差しは常にイタリアへ向いていたのです。
そんな中、フランスが本気で芸術でイタリアに追いつこうとしたのが、ルイ14世の時代。“太陽王”と呼ばれた彼のもとで、芸術は国家の威信そのものとなり、絵画や彫刻、建築を育てるための制度が整えられていきました。
その象徴が、1648年に創設された王立絵画彫刻アカデミーです。
このアカデミーが目指したのは、理性に基づいた、整った美。
「感覚よりも知性を」「色よりも形と構成を」——
これはまさに、プッサンが唱えた美の原則でした。
プッサン自身は1594年にフランスで生まれ、農業地主の家庭で育ちます。よい教育を受けていましたが、画家になりたいという夢は当時の社会では“身分落ち”に近く、親の期待に逆らう選択でもありました。当時のフランスでは、画家はまだ“職人”の扱いだったのです。
プッサンもイタリアの巨匠たちに憧れ、二度ローマを目指しますが、一度目は資金が尽きて挫折。それでも努力の末、パトロンの支援でローマ行きを果たし、ついに成功を収めます。
彼は、審美眼がなく教養に欠ける大衆に受けることをよしとしてなかったようです。(厳しい・・・)
そのため教会の祭壇画のような公的な仕事を避け、上流階級の私的な作品を制作 していたのだとか。
見る人の教養と判断力を信じて、あえて複雑に描く。つまり知的に絵を読むことを大切にしたんですね。
絵から学ぶ、見る力—プッサンが私たちに問いかけること
ソロモンが“本当の母親”を見抜いたのは、証言の正しさでも、見た目の印象でもなくて、人間の本質的な感情や反応を見抜く直感によるものでした。
真実を知るには、時に言葉よりも、行動や沈黙に表れる“何か”を感じ取ることが必要なのかもしれないですよね?
今私たちは、検索すればすぐ答えが見つかる時代に生きています。でも、自分の頭で考えて、試して、感じて、やっと見つけた答えって、ものすごく記憶に残ります。
ショパンの楽譜をなぞって、自分で“構造”を見つけたときのように。
そういった経験はありませんか?
プッサンの絵は、わかりやすくはないかもしれない。でも、そのぶんわかる瞬間が、ぐっと深い。
難しさの中にある面白さ——それこそが、知る喜びなんだと思っています!